2009年07月07日
枠にはめ込む見方・考え方

「Aくんは【ADHD】。だから『乱暴』だ。」
「Bさんは、【ああ言えばこう言う】タイプ。だから『言ってもわからない』。」
「Cさんは、【酒飲み】。だから、性格が『だらしない』。」
え~っ???
これって本当ですか~?
【ADHD】の人って『乱暴』なの?
【ああ言えばこう言う】タイプの人って『言ってもわからない』の?
【酒飲み】は『だらしない』の?
うっそ~!?
このように、人や物事と接したときに
「枠にはめ込む見方・考え方」で見ると、「そのもののほんとの理解に近づいていかないな~・・・」
と感じています。
自分の思い込みや価値観から、物事を「枠にはめ込み」、ラべリング、カテゴライズし、
そこに後から勝手に自分流な解釈をもってきてくっ付けて、『そうなのだ!!』と結論付けることは、
そのものの本質を見逃してしまう ようです。
「Aくんは『乱暴』だ。」
「Bさんは『言ってもわからない』。」
「Cさんは、『だらしない』。」
って言うのなら、『は~、な~るほど。あなたはそう感じたのですね。。。。』で済むことですが、
「【・・・】だから『・・・だ。』」と、固く思い込んでいる姿を見ると、
『あ~、この方は、苦しいだろうな~・・・』と感じてしまいます。
「【・・・】だから『・・・だ。』」と「枠にはめ込む見方・考え方」で判断するよりも
『私はこう感じた。』と感じたままで判断する方がそのものの理解に近づくし、
気分も楽珍なように思います。
そして、『私はこう感じた。』『だったら、私はどう関わり方を変えよう。。。』と
変わる主体はあくまでも自分です。
『私はこう感じた。』だから、『あなたは、こう変わってよ!』と相手に変化を求めていても、
物事は始まりませんね。
勝手に自分の考えた枠に相手をはめ込みながら、相手に変化を求めるなんて、できない事ですよね。
『過去と他人は変わらない。』 のです。
変われるのは自分だけですよね。
いかがでしょうか?