2010年10月06日
高齢者疑似体験とウルトラマラソン

横断歩道をゆっくりと歩いて渡る若者の集団。
なにやら体中にいろんなものを装着している。
「ああ、なるほど。高齢者疑似体験中なのか!」
と、気が付きました。
ヘッドホーンや視野の狭くなる特殊眼鏡、手足や胴体の重りなどを装着して、
高齢者の日常生活動作を擬似的に体験するというものだ。
高齢者疑似体験とは?・・・・・
【疑似体験装具を装着して加齢による身体的な変化(筋力、視力、聴力などの低下)
を知り、高齢者の気持ちや介護方法、高齢者とのコミュニケーションの取り方を
体験的に学ぶこと】
視野も狭く、聴力も効かないことからくる不安や恐怖。
身体は、重い、痛い、苦しい。。。。。
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実は、、、、、、
100kmウルトラマラソンを走った翌日のminoの身体は
まるで、高齢者疑似体験をしているようなものでした。
・重い、だるい、痛い。
・トイレにしゃがめない。
(この時ほど「男に生まれればよかった」・・・と思ったことはない)
・足を一歩出すごとに身体を走る痛み。
・亀のようにゆっくりゆっくりとしか歩けない。
・腰を曲げ、足を引きずり歩く。
・当然、走れない。
・一生懸命に歩いても、横断歩道を時間内に渡りきれない。
・階段の上り下りは、一段づつ、激しい痛み。
・クラクションを鳴らされても、とっさに行動できない。
などなど
そんな不自由な経験をしてみて一番“辛い”と感じたのは、
「痛み」ではなかったのです。
一番辛かったのは、、、、
自分の体が思うように動かないという「切なさ」でした。
そういえば、100歳で亡くなったひいおばあちゃんが
「あ~・・・切ない。。。切ない。。」
年を取るってことは、身体を動かすのも難儀で、切ない。
この歳になると、生きるってのは、まるごと切ないことだ。」
と言っていたのを思い出します。
そう。切ないんです。。。。。
【切ないとは、寂しさや悲しみなどで胸がしめつけられるさま。
辛くやるせない気持。】
「高齢者の切なさ」をウルトラマラソンの経験を通してして知りました。
だから、、、ホントは・・・・
完走した翌日は、喜びに満たされていたというより
切ない気持ちでいっぱいで、涙ながらに電車を乗り継ぎ
帰ってきたminoがいたのでした。