2010年10月19日
「喜びの種」

『minoちゃんのマラソンは、楽しみながらの努力の賜物なのか、
もともと隠れ潜んでた才能なのか・・・・考えてみたい私です。』
というメールをいただきました。
うわ~い!! こんなminoに興味を持っていただいてとっても嬉しいです。
これについては、minoはこう思うのです。
「自分の外側にある種に光をあてて肥料をあげても花は咲かない…
自分の内側にある種に光と肥料を与えてこそ、いつの日にか花が咲くのです。」
つまり、「走る」…とは、私の内にあった、まだ咲かないでいた一つの種だったのです。
実は、思い起こせばウン十年前のピチピチminoは、走ることが大好きでした。
運動会や陸上競技会では、いつも選手に選ばれました。
短距離も長距離も速く走れたので、陸上部の先生から「おまえ、陸上部へ入れ!」と言われましたが、
「自由に走るから好きなのであって、雨の日も風の日も猛暑の日でも、ストイックに自分を追い込む
練習はイヤです。」と言って入部を断り陸上部には入りませんでした。
「あの時、陸上部に入っていたらどうなっていたかな?」と考えてみますと
「有名な選手になっていた?」・・・・
いいえ、恐らく、「社会人になってまでも走る」ということにおいては、
興味を失っていたのではないかと思うのです。
minoがマラソンに喜びを感じられるのは、子どもの頃から大好きだった「走ること」が、
子どもの時のまま傷付かずに「好きという感情」のままに残っていたからです。
自分が、どんな種を持っているのか見つかっていない人、気づけないでいる人は
「私には、喜びを感じられるものが何もない・・・」といいますが、
何の種も持っていない人なんていないのだと思うのです。
ただ、その種の存在に気づけていないだけ・・・・。
ひっそりと自分の内側に眠り続けている種に光が当たればムクムクと成長を始めるはず!
これこそ、「喜びの種」なのです。
・・・なんと、minoは、もう一つの「喜びの種」の所在を突き止めました~!!
今、少しづつ時間をかけて光を与え始めたところです。
ポワンポワンとした喜びを感じ始めているところです。
自分の種は、一つじゃないのです。
皆さんも「喜びの種」が見つかったら、教えてくださいね。