2010年02月07日
感情のコントロール その2

親は、“しつけ”と称して自分の怒りの感情のままに、その場限りに叱ったり怒ったりと、
効果の無い方法をとってしまいがち。。。
そこで〈感情をコントロールする〉には・・・
残念ながら、これに対して“簡単で手早く効果のある方法”はありません。
方法は一つ。
これは難しいですが、持続可能な方法です。
《視点の移動が必要なのです。》
コペルニクス的発想の転換です。
つまり、
自分の今まで培ってきた価値観や価値判断、思い込みだけで物事を捉えるのではなく、
自分ならではの思い込みに気付き、物事を違った角度から眺めたり、捉えたり、考えたり
してみるように心がける事です。
「どうしていつも、この子はこれができないの?」 (子ども自身に原因を求める姿勢)
と感じて怒りの感情が沸き立つようなら、
・・・・コペルニクス的発想の転換により・・・・
「この子は、できないのではなくて、何かやりたくない、あるいは取り組めない理由が
他にあるのかしら?」 (子どもの外部に原因を探す姿勢)
などと考えてみる事です。
コペルニクス的発想の転換による《視点の移動》・・・
これは訓練を必要としますが、必ず身につきます。
感情を無理してコントロールしようとせずとも《視点の移動》によって徐々にですが、
今までの感情を手放す事ができるようになるものです。
さて、お母様方。
今までの子育てを反省して罪悪感を感じ、自分を責めてみたり、落ち込んだりする必要はありません。
知らないということは、時に罪な事ではありましょうが、
「効果的な方法を知らなかったのだ」というだけのことなのです。
もし、“変わりたい”と思ったならば、今から少しづつ始めればいい事なのです。
すぐに結果を期待せず、繰り返し、繰り返し、根気良く行って行きましょう。
そうするうちに、お母さんの変化にともなって、子どもの応答も徐々に変化してくるはずです。
しかし、こうした変わる努力を“する”のも、“しない”のも、
お母さん、すべてあなた自身が、選択すればいい事なのです。
2010年02月06日
感情のコントロール その1

親支援プログラムの『STEP勇気づけセミナー』を受講された方々は、
徐々にいろんなことに気付きだされます。
「今までの子育てでは、自分の怒りや苛立ちの感情を利用して、その場限りに、只それをぶつける事で、
子どもを自分の思うように支配し、“コントロールしてしつけよう”としていた・・・・。」
ということに気付かれたお母さんは、今までの自らの子育てを反省したり、
自分を責めてみたり、落ち込んだり、「ではどうしたらいいの?」と絶望したりします。
親が、感情のままに子どもをしつけようとしても、子どもはやる気を示しません。
だから、更にヒートアップして感情を爆発させるわけですが、終いには何を叱っていたのかさえ
分からなくなった。。。。なんて事も聞きます。
叱られた子どもは、どうでしょう。
「母ちゃんが、鬼のようになっているから真面目にやろう。」とその場は思ったとしても
母ちゃんが、鬼にならない限りは、自主的に取り組もうとはしないのです。
あるいは、子どもの心の中には「あ~、また、母ちゃんに怒られた」という事実しか残らず、
子どもは、『何故叱られたのか?』『自分は、どうしたらよかったのか?』とまでは、考えないものです。
ですから、親が自分の怒りの感情のままに流されて、その場限りに叱ったり怒ったりしてみても、
長い目で見て“しつけ”としては何の効果も無いのです。
むしろ、“親子関係を悪化させる”という悪い効果を期待するのには、効果的です。
そんなの、嫌ですね~・・・・
・・・・では、どうしたらよいのでしょうか?
〈感情をコントロールする〉つまり、怒りを『我慢』すればよい????
・・・・さて、どうでしょう?
多分、1度や2度なら『我慢』もできるでしょう。
ですが、我慢している間は、燃え立つ感情を無理やりに押さえ込んでいるわけですから、
酷く苦しいはずです。
終いに、ストレスが溜まって、今まで以上に一気に噴火し、見るも無残な事になってしまった。。。。
などということにもなりかねません。
::::::: つづく :::::::
2010年02月04日
チャ~ミング~

あるお母さんから勇気づけメールをいただきました。
『今朝、旗振り当番でセシリアちゃんと会ったよ~。
私のことを知ってるからだとも思うけど、心から“おはよう”を言ってくれるんだよね~。
ものすごく気持ちいいよ~。
旗振り当番の時は、セシリアちゃんを待ってる自分がいるよ。
ほんとにチャーミング~』
子どもを認めてくれたり、褒めてくれたりすると、どうしてこんなにも幸せな気分になるのでしょう。
こんなキラキラ輝く宝石のような勇気づけの言葉を贈ってくださるこのお母さんも、
とっても素敵にチャ~ミング!
早速、セシリアにこのことを報告すると、、、、
「え~?そっか~?普通に挨拶しているのにな~。でもすっごく嬉しいな~。よかったな~
。」
と喜んでいました。
***********
実はこのお母さん。
中々、我が子には勇気づけの言葉をかけて上げるのが難しいのだといいます。
それは、どうしても「・・付きのいい親」(STEP・2章)が頭をもたげてきてしまうからでしょう。
でも大丈夫。
《相手が喜ぶであろう言葉や態度は、出し惜しみしなくていいのです。》
そう気付いてくれたなら・・・・・
輝きを放つ言葉をたくさん心に持っているお母さんだからこそ、いつの日にか我が子にも
勇気づけの言葉を贈れるようになっていくのです。
ほら、やっぱり、チャ~ミング!
2010年02月03日
おぶせの風

本日、『STEP勇気づけセミナー』は、第3章“勇気づけ”について
皆さんと一緒に学習してまいりますが、このグッドなタイミングで、
もんのすごっく“嬉しくって”、“美味しく”って、“感激”で、“勇気百倍”のことがありました。
*********
Sちゃんへ
信州小布施でユースホステル『おぶせの風』の経営をされているSちゃんッ。
はじめまして。
こんにちは。
私、minoですッ!!
この度は、心のこもった『紅玉ジャム』 ↑ を頂き、ありがとうございました。
そして、いつも“みのコメ”を覗いてくれているということで嬉しく思っています!!!
*********
というわけで・・・・
minoの全く存じがけないことでしたが、長野県の空の下で、いつも“みのコメ”を
読んでくださっているSちゃんが居られるのだということをこの度知ったのです。
(う、うお~長野県じゃ~!!)
そして、そのSちゃんが、お友だちを介して手作りの『紅玉ジャム』というりんごジャムを
何と、このminoにプレゼントしてくださったのですよ。
(う、うお~心こもってる~!!)
本当に思いがけないところで、大きな大きな爆発的な“勇気づけ”を頂いたminoは
幸せを噛み締めながら『紅玉ジャム』を食させていただきました。
りんごが大好物のminoにとって『紅玉ジャム』は“こころポカポカ・幸せトロリン”の味でした。
************
そこで、お礼に一曲!
山口百恵の『いい日旅立ち』のサビの部分に乗せて歌ってください。
♪ ああ 日本のどこかに
“みのコメ”読んでくれてる 人が居る
いい日旅立ち 『おぶせの風』に誘われ
Sちゃんが教えてくれた “勇気”道連れに ♪
百倍の“勇気づけ”をいただきました分、minoは、千倍の“勇気づけ”を持って会いにいきます。
あ~これこそが「牛に引かれて善光寺参り」だな~と感動しています。
・・・「思いがけないことが縁で、また、自身の発意ではなくて、偶然よい方に導かれること。」
Sちゃん。
いつの日にか、必ず、小布施に行きます。
ユースホステル『おぶせの風』に会いに行きます
待っとってね~!!!
2010年01月24日
嬉しいご報告次々と・・・

STEPでは、「互いに良い影響をしあえる親子関係を築いていく方法」を
9回に渡って学習していきますが、
最近嬉しいご報告を次々と頂いています。
○「子どもが素直に感謝の気持ちを言ってくれるようになりました。」
○「学校であった良い事ばかりを話してくれるのではなく、自分の失敗や恥ずかしい思いをした事、
悔しかったことなど、ネガティブな事も話してくれるようになりました。」
○「友だちの欠点を指摘してくるよりも長所を見つけてくるようになりました。」
と・・・・。
そして、このお母様がたは口々にこう言います。
●「自分の子どもへの態度に気をつけて、対応を変えようと努力することで、
子どもがこんなにも変わるものなのですね。」
●「私が変わると子どもも変わる、、、、って本当なのですね!」
と・・・・。
さて、面白いことに、このような子どもたちに共通に現れた姿は、、、、、
◇ 今まで苦手とし、避けていたことに自から挑戦してみる姿が見えてきたこと。
◇ 失敗しても長い間落ち込まず、自分で気持ちを切り替えられるようになったこと。
そして、そのような子どもたちの成長した姿を見ることでお母様方は、、、、
◆ 子どもを“心配”するより“信頼”することの方が多くなったこと。
◆ 子どもを尊重し、“見守りながら待つ”ことができるようになってきたこと。
これらは、「互いに良い影響をしあえる親子関係」となっている現れなのですね。
生き生きと輝く子どもの姿を見て、親も生き生きとしてきます。
その生き生きとした親を見て、子どもは安心して更に、伸び伸び生き生きとしてきます。
互いに良い影響をしあう。。。というのはこの双方向性の循環によって成立するものなのですね。
自分は変わらず、子どもだけを変えようと努力する前に、
まずは、お母様自身から子どもへの対応を変えてみてはいかがでしょうか?
http://heartland.geocities.jp/maruty27/step1.htm
2010年01月05日
成長への“問題”とは?

短い冬休みも明け、小学生の太郎吉とセシリアは今日から登校!
二人とも『行って~きま~っス!!』と元気良く出かけていきました。
この冬休みは、とても短かったのですが、二人の成長振りには驚かされました。
特に太郎吉は、、、、
今年の春から中学生!
気合が入っています。
やっと自分の人生を「どう生きていこうか?」と考え始めたようです。
将来を思い描き、なりたい姿になるためには
『自分は、どうしたらよいのか?』
『そうなるには、どんな問題が横たわっているのか?』
と考え始めました。
ここでいう問題とは、“現状と目標のギャップ”です。
まずは、今ある問題をはっきり認識するためにも、
①目標を明確に持つこと
②現状を正しく認識すること
が必要です。
太郎吉は、“現状と目標のギャップ”を明らかにし、それを解決するための行動を
この冬休みを通して徹底的に行っていました。
・問題を正しく認識し
・どのような解決策があるかを考え出し
・解決の途中で生じた新たな問題を明らかにし
・その問題に対処し、乗り越え
・当初の問題が解決されているか確認し
・現時点の今の自分を評価し
・“ギャップ”がクリアされていく事に自信を深めて行きました。
このような作業を小学生が1人で行うという力はまだ無いようです。
親が寄り添い、フィードバックしてあげながら
『問題解決の模索』に付き合い、
子どもが自主的に解決できるように支援し、
勇気づけてやる気の継続を図る必要がありました。
こおして太郎吉は、大きな目標を前にひるむ事も無く、嘆く事も無く、
只、黙々と自分の選択した道をひたすら歩んでいます。
そんな太郎吉を家族みんなで心から応援しています。
2009年11月29日
鋭き観察者

小学校3年生のセシリアが言います。
いつも穏やかで、一緒に遊んでくれる大好きな先生が、生徒に分からせるために叱る場合がある。
この姿は、立派だと思っているし、叱る先生も大好きだ!
しかし、時には、生徒を力ずくで“放り投げる”事がある。
それを見ては怖くなると言う。
「お尻から落ちたからいいけれど、頭でも打ったら、M君も怪我をする。
そんなことにでもなったら、先生も処罰されないの?」と・・・。
(お友だちが怪我をしたり、大好きな先生が処罰されるのを心配する。)
穏やかな先生が放り投げてしまうのだから、どうやら余程のことなのであろうが、
大事なことは、放り投げられているその子の『表情』だという。
「M君は、先生に叱られても反省していない。ものすごい目で先生を睨んで、恨んでいる。
あのやり方では、M君には伝わっていない。
M君は反省するどころか、先生を憎み始めている。」
「先生は暴力はいけないといつも言う。でも、M君を放り投げるのも暴力ではないの?」
「“暴力”と“しつけ”の差は、生徒がそれをどう受け止めて居るかだと思う。
以前、先生に放り投げられて、泣いて反省したA君は、弱い者いじめを二度とやらなくなった。
だから、A君には、しつけとして通用したけど、M君は、只の“暴力先生”としか思っていない。」
「私、先生に聞いてみたい。
『先生はいつも“暴力”はイケナイと言っています。
では、“暴力”と先生の今やっていること(放り投げる)の違いは何ですか?
M君にとっては“暴力”としか思えていないと思うのですが。教えてください。。。』って・・・・・」
その先生は、セシリアの事をいつもこう言って評価して下さいます。
『とっても素敵な子なんですよ~。(まるで、わが子のように言って下さいます。)
人の気持ちがよ~くわかる子どもです。
困っている子には、そっと気配りのできる子なんです。
とっても配慮のある子どもです。』 と・・・・
今回は、『先生の気持ち』にも『M君の気持ち』にも心を動かされてしまったセシリアです。
M君の度重なる非建設的な言動・態度は、実は、
『M君自身が何らかの“困ってしまっている”状態を抱えていながら、その適切な対処方法を
知らないでいるところの結果としての表れ(自己尊重感、自己肯定感の低下状態)』であるとしたならば
先生の『放り投げて分からせようとする(反省させようとする)やり方』では、
M君の言動を建設的なものへと変化をさせることはできないでしょう。
そんなことにセシリアは気付いたようですね。
*********************
子どもは、よ~く見ていますし、よ~く感じているものなのです。
只、それらを上手く言語化して表現できないだけなのです。
子どもは、大人よりも、余程素晴らしい観察者であるし、実践家であり、思索家であるときがあるのです。
時に、立派な心理学者や哲学者でもあると感心することも多いです。
こうして私は、いつもセシリアや太郎吉に気付きを与えられ、教えられているのです。
ありがとう
2009年11月09日
褒めるとは?

大学の講義で「家庭でのしつけ・・・褒めるということ」について学ぶ機会がありました。
ちょっと、ここにご紹介します。
**************************
例えば、「褒めて育てよ」というが、この場合の「褒める」と言う行為は。。。。
・意図的でなく本気で心から褒める。
・具体的に良い行為を褒める。
・叱るべき時に叱れない親が増えているが、ことわざにもあるように
『3つ叱って5つ褒め7つ教えて子は育つ。』
叱って褒めて教える事が大切。
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何も目新しいしつけ法を学んだわけではありません。
至極当たり前のことのようですが、多くの親に欠け易いものです。
日頃、褒めると言う行為を、余り意識しないでやっていると
「こうして欲しい。」「またやって欲しい。」などと、親は駆け引きや条件付きで
褒めることをしているかもしれません。。
また、褒めた後に、他にやって欲しい事を付け加えたり、
「褒めれば気を良くしてやるだろう・・・」などと下心を持って褒めてしまう場合もあるでしょう。
「褒める」とは、掛け値無しで、今ここでの子どもの純粋なるその行為や思いに対して、
親も純粋に認める姿がなければ褒めた事にはならないし、
子どもは、褒められたという喜びもわかないのですね。
親に褒められて嬉しく思えない子がいます。
そのような場合は、親の「褒めるという行為」に駆け引きや条件付き、下心が垣間見られてしまい
子どもは、そんな親に対して不信感や苛立ちを感じるようです。
下手な褒め方は、反って子どもはやる気をくじくだけです。
さて、、、
皆さんなら、どんな褒め方をされたら「うれしさ」を感じますか?
その方法で子どもを褒めて(勇気づけ)見てください。
2009年10月29日
こころ柔らかく

「こんなこと出来て当たり前」
「何でこれができないの?」
と言いながら、繰り返しイライラ、ガミガミ・・・・
終いに、相手を不信に思い、勝手に自分で落ち込んでみる。。。。
こんな子育てや対人関係を繰り返していませんか?
もしかしたら、本当に相手の方は、そのことが苦手で、一生懸命取り組んでも
できないのかもしれません。
しかし、もしかしたら、できないというのは「やりたくないからしない・やりたくないからできない」
のかもしれませんよね。
いずれにしても、できない、したくないというのなら
「相手が喜んで取り組める方法・相手が受け入れやすい方法」をこちらで用意する必要があるのです。
「私が言ったように何故しない!何故できない!」と責めたところで
自分から取り組むようになるわけが無いのは、
そう強要しているその人自身が良く知っている事なのではないでしょうか?
こころ柔らかく。。。。
「この手がダメなら、あの手で行こう」と柔軟に自分の気持ちを入れ換えましょう。
こころが硬いと相手との関係も硬直していきます。
こころが硬くなっている時は、お顔も硬くなっているはず。
当然相手は拒否反応を示すか、言うがままのロボットを演じるか。。。。
相手はその行動からは何も学んでいないのです。
相手に建設的な行動を求めるのなら、こちらも柔軟な心構えで、「心柔らかく」いきましょう。
2009年10月15日
子どもからの“挑戦”

【 STEP 第1章 「子どもの気になる言動」について 】
『子どもが“挑戦”を仕掛けてくる…』と感じることや経験はありませんか?
例えば。。。。
・あくまでも我が儘を貫き通そうとする。
・現状に見あわない要求をしてくる。
・屁理屈を言う。
・親を怒らせたり混乱させるために「子どもの気になる言動」
( 関心をひく、主導権争い、仕返し、無気力を示す)を仕掛けてくる。
などなど・・・・
子どもは無意識に親を試します。
どこまでなら許して貰えるかと探るために“仕掛けてくる”こともあるようです。
親が、このような子どもからの“挑戦”に乗り、感情を乱し怒ったり混乱して反応している限りは
子どもは、さらに“挑戦”を強化してきます。
こんなときは、親は子どもの感情に巻き込まれないように気をつけながら、
“温かく”なおかつ“毅然”として
『その手は通用しないよ。乗らないよ。』という態度を示さなければなりません。
子供のネガティブな挑戦には乗らず、建設的な言動で返しましょう。
『親がネガティブな挑戦には乗らない』と分かれば自ずと
“子どもからの挑戦”は次第に減ってくるものです。
2009年10月11日
「子どもを変えたい」と思う親

どうしてこうもだらしがないのかしら?
何で自分の考えをもたないのかしら?
何故、お手伝いをしないのかしら?
いつからこんなに反抗的になったのかしら?
・・・・・
あ~、んもう~、いやんなっちゃう。
毎日この子のお陰でクタクタだわよ・・・・
子どもを変えるにはどうしたらいいのかしら?
何かいい方法は無いのかしら?
自分の行動に責任感を持ち、自主的に考え、積極的に行動し
思いやりの持てる子にするにはどうしたらいいのかしら?
・・・・・
こう願いながらも、目の前の子どもを見ては嘆いている親御さんも多いのではないでしょうか?
さてさて、、、、、
そもそも、、、、、
子どもを親の思いどおりに変えることなど、果たしてできることなのでしょうか?
子どもは、親の思いどおりになるロボットであるわけは無いのです。
そこで、子どもを変えたいと願う時に大切だと思われることは,,,,,,,
『親として、子どもが自ら変わりたいと思える“日々の生活”を用意してあげる事』・・・・・・
なのではないでしょうか?
つまり、親は子どもの『発達の願い』を見守りながら、
“変わりたい・・・乗り越えたい・・・”
と思える日常を工夫し、経験の場面を用意する事。
親がしつけと称して罰したり、叱咤激励でコントロールして子どもが変わるわけではないと思うのです。
子ども自身が、日々の生活の中で気づきを得ることができたり、
経験を通して自分自身を信頼し、「自分は変わりたい、変われるのだ」
と思う気持ちが持てるように、子どもを勇気付けていくことで
子どもは自らの心の内に湧き上がる自分自身への“信頼”と“正義”をもって
前向きに変わっていくものだと感じています。
2009年09月27日
素晴らしい勘と想像力


涙をこぼし、すっかり“勇気”も“やる気”も失ってしまった娘を前にして
minoには、同情も哀れみも不安も困惑もありませんでした。
ピピッと来ましたよ。
『ヨッシャ~!!チャンス到来ジャ~!こめかみがピピッと来たど~。』
セシリアのこの数ヶ月の”見えにくさ”に対する気持ちの切り替えのチャンス。
ピンチがチャンスなんです!!
『こめかみがピピッ』は、セシリアへの“勇気づけチャンス”の合図でした。
セシリアが落ち着くのを待って声を掛けました。
mino
「セシリアの眼は、視力を上手く出す能力が低いという事がズバリ分かったわけよね。
つまりあなたは、目が弱点なんだね。
どんな人にも弱点はあるんだよ。
でもね、人間てのはバランス良く出来ていて、低い能力を補うほどの高い能力も持つものなのさ。
セシリアには、目の代わりとなる高い能力があるはずなんだよ。何だか分かる?
鼻が利く?味がわかる?聞こえ方?」
セシリア
「ぜんぜん・・・」
mino
「そうだ!あなたは“勘”がいいね。想像力もあるし。
目が良く見えなくても素晴らしい勘と想像力があるじゃない!
不安になることはないよ!」
セシリア
「そうだ。ミニバスのシュートだって勘と想像力を使って出来るかも・・・」
mino
「そうだよ。諦める事は無いんだよ。セシリアには素晴らしい能力がたくさんあるんだ。
それを伸ばして行こうね。」
セシリア
「うん!出来る!」
こうして元気を取り戻しました。
“勇気付け”は成功し、セシリアは、又一つ『自分の弱点』と『完璧でない自分』
を明らかにして認めることでありのままの自分を“良し”として、
更に“やる気”を回復しました。
んね~。子どものピンチに怖れをなして固まっていては始まりません。
子どものピンチは勇気付けのチャンスなんですから。
2009年09月23日
どうせ思考

・どうせ、私にできるはずはない。
・どうせ、分かってもらえるわけがない。
・どうせ、何をやってもうまくいかないだろう。
・どうせ、自分は人から好かれない。
日頃、これらの「どうせ思考」になっていませんか?
「どうせ思考」は、未来への可能性を奪ってしまう思考だということに気づきませんか?
どうせ・・・と考える事で、未来に開かれていく向上心・積極性・意欲などを放棄してしまうのです。
自分の未来を自分で奪うのです。
● これが他人に向かうと、、、、、
「どうせ、あの人に教えても分からない。」
「どうせ、又、失敗するさ。」
と他人の可能性さえ奪ってしまうのです。
● 親が子どもに向かって、、、、、
「どうせこの子には無理なんだわ。」と
断定してしまえば、その子の可能性はその時点で閉ざされるのです。
このように、
「どうせ思考」は自滅的な思考です。
人間を不幸に導く不適切な思考です。
どうせなら、
「どうせ思考」を捨てて建設的に行きましょう。
2009年09月22日
自分に自信がもてない・・・

「自分を好きになれない。」
「何もかもが欠けている自分。」
「不安だらけな自分。」
「何も誇れるものが無い。」
こう思いこんでいる皆さんへ。
山崎房一氏の言葉を贈ります。
::::::::::::
【自分を生かす3原則】
原則1 そのままの自分で100点満点を生きる。
原則2 自分は、徹底して自分の味方をする。
原則3 あるがままの自分を好きになる。
::::::::::::
自分を卑下し、貶め、生きる力を奪う生き方をするのも
自分自身を生かす生き方をするのも
“自分”なのです。
2009年09月19日
子どもの喜ぶ“まなざし”

大人が子どもを見守る時の子どもへの『まなざし』について。。。。
子どもの喜ぶそれらってどんなものでしょう????
「 その『まなざし』は、何らかの感情の混じったものではない。
『それは危ない。やめなさい。』といった、
子どもをこの上なく危なっかしい存在として見るような不安だらけのまなざしでもない。
『こうするのよ。貸して御覧なさい。』といった、
子どもには、“それをやり遂げる能力が無い”と見限るような、おせっかいなまなざしでもない。
又、子どもを競馬馬を見るように執拗に見守るまなざしでもない。
直すところ、叱るところを何がなんでも探し出そうとする検閲者の目でもない。
とにかく混じりけの無いまなざしなのだ。
進入して支配しようとはせず、ただそこにあるだけのまなざし。
誰かを傷つけたりしないまなざし。
・・・子どもにとってそんなうれしいプレゼントはない。」
( 参考図書 『子どもという哲学者』: ピエーロ・フェルッチ )
**************
皆さんは、どんなまなざしを子どもに向けていますか?
子どもを『ただそこにあるだけのまなざし』で見守ることが出来ている時には、
親も心穏やかに幸せな気分になり
子どものあるがままを受け止めることが出来ている時だと感じます。
この『混じりけの無いまなざし』は子どもも親をも幸せな気分にする
“魔法のまなざし”なのです。
2009年09月16日
活き活きと生きる

あるお母さんからの話。。。 でも、よくあるお話。。。
****************
「子どもを変えよう」ではなく「自分自身が変わることで、子どもも変わる」のだ。
だから、自分自身が変わらなくてはダメなんだ・・・と分かってはいるのです。
そして、「親が活き活きと生きることで、子どもも生き生きとしてくる」とも分かっているのだけれど
自分には、取り立てて得意なことがあるわけでもなく、人に好かれるタイプでもなく
、自慢できる趣味もなく、、、、
結局、私には何も無いんです。。。
そんな自信の無い自分にイラ付いて、子どもにはそうなって欲しくないと言う思いから
子どもを自分の良いようにとコントロールしようとしてしまいます。
すると子どもは、更に反抗的に成ってきます。
そうではなく、私自身が活き活きと過ごす事で、子どもも活き活きとしてくるものなのですよね
????
****************
このお母さんのように自分に自信が無いという大人は、意外と多いと感じています。
「私には何も無い」という思い込み、、、、、
しかし、どんな方にも、今までの人生の中で『光り輝いていたそのとき』が
あったのではないかと思うのです。
夢や希望を抱いていた時
何かに夢中になって打ち込んでいた時
『思いどうりにならなくたって人生は捨てたモンじゃない!!』って思えていた時期
人と比べてどうか?ではなくて自分自身を“良し”と認められる事が大事です。
そして、自分を認めることができると、子どもを認められるようになるものです。
『あなたは、あなたでいいんだよ!』
そう認めてもらいたいのは、大人も子どもも同じです。
『私は、私でいいんだよ。』
まずは、繰り返し自分に言ってあげてみてください。
『私は、私でいいんだよ。』・・・
『私は、私でいいんだよ。』・・・
『私は、私でいいんだよ。』・・・
そうですつ!! 『あなたは、あなたでいいんだよ。』
2009年09月11日
親子展の結果

ちょっと前の事です・・・
セシリアに『ハイドウ・ハイドウドウ』と
上手くお尻を叩かれながら仕上げた書道。
その書を引っ提げて、セシリアとminoで“親子書道展”に参加しました。
(5/ 5『教え上手』でブログにも書きました・・・)
そんなことも、すっかり忘れていましたら
何とこの度、セシリアが賞状を頂いて帰りました。
ぬはぬは。。。
“優秀賞”でした。
思わずminoは
「うわ~、取ったど~。賞、取ったんだど~。
しかも、優秀賞だって。
すご、すご!!
この歳まで、人様に“優秀”なんて言われたことがなかったから
こりゃ、気持ち良くって涙が出るほど嬉しいもんだね~。
母ちゃんも結構イケテルッテ感じだわね。
ん~、やれば出来るじゃ~ン。。。て!
・・・あ~、親子展やってよかったよ~。
“親子丼”でもなく“トコロテン”でもなく
やっぱ、“親子展”だよね~。」
と大喜びするminoを横目で
「ったく、何アホ言ってんの?
母ちゃん一人で取ったわけじゃないんだよ。
親子で取ったんだ。
しかも、あんなに嫌がっていた母ちゃんを勇気づけてその気にさせるのに
どんなに大変だったか。。。。フウ・・・」
mino
「え~?大変だったの?そうだったっけ~?
でも、おめでとう!
あはっ・・・
ねっ。ねっ。よかった。よかった。」
:::::::::::
:::::::::::
そうでした。『教え上手』のセシリアのお陰で賞が取れたンです。
セシリアが一生懸命にminoを勇気付けてくれて完成したことを思い出しました。
これは、書道が優秀というより、セシリアの『教え上手』に対して“優秀賞”という
賞を頂いたんだと思いました。
mino
「やっぱりセシリアのお陰だよ。。
セシリアが丁寧に諦めずに教えてくれたからだね。
母ちゃん、親子で良い思いでが出来て本当にうれしいよ!!
セシリア本当にありがとう!!」
そう心からお礼を言いました。
2009年07月31日
夏休み前 家族会議


さ~て、いよいよ、待ちに待った夏休みです!!
今年の夏休みをどのように有効的に過ごすか?・・・・
と、家族会議をしました。
太郎吉、セシリアともに、この夏休みは「毎日プールに通い、身体を鍛え体力を作る。」を中心に
毎日午前中は、勉強に当てるそうです。(スゴイ!!minoも負けないぞ!!
)
太郎吉は、同性の友だちとたくさん遊び、夏期講習で学習。
セシリアは、ミニバス・キャンプ、試合にと大忙し。
家族で出かけるのは、今年は4日間だけ。
それぞれが、それぞれの生活をエンジョイする年齢になってきて
minoは嬉しい!!
親離れ、バンザ~イ!!
さて、、、、夏休み。。。。
minoにとって、夏休みの楽しみは何かな?・・・・
それは、
子どもの成長が見られること。
と、同時に、自分もそれに関われること。
子どもたちよりも、誰よりも、「夏休みが長くありますように!!」と願っているのは
この私なのです。
2009年07月12日
上昇傾向・下降傾向

発達は「行きつ戻りつ」。
今まで、できなかったことが、出来るようになった。
上手くいっている。
「行きつ・・・」で発達の上昇傾向だ!!
すると親は、「あ~、このまま育っていってほしい!」と願い「育ち行くはずだ!」と思い込む。
BUT、発達は「行きつ戻りつ」なのである。行ったり来たりの繰り返し。
昨日まで、できていたことが急に出来なくなる事がある。
あるいは、やらなくなることがある。
「戻りつ・・・」で発達の下降傾向だ!!
すると、親は「あら、こんなはずじゃなかった・・・・」とガッカリする。
「なぜ、全力を出さないのだ!」と苛立つ。
「は~、またか~。。。」と落ち込む。絶望する。
発達の上昇傾向では、親は安心、ウハウハ。
発達の下降傾向では、親は不安、ザラザラ。
しかし、大事なのは、「戻りつ・・・」で発達の下降傾向の時なのです。
ピンチがチャンス!
「戻りつ・・・」の時こそが本当に学べる機会なのですから、親は工夫して子どもの成長を
支援する時なのですね。
下降傾向にある時の一踏ん張りこそが、子どもの育つチャンスなのですね!!
2009年07月11日
キャッチボールする能力

あると思いますか?
持っていますか?
コミュニケーション能力。。。
コミュニケーション能力とは?
「話す能力だけでなく、
相手が何を言っているのか?
自分に何を期待しているのか?
何を働きかけているのか?
を理解しそれに応えていくという、
言葉や意思をキャッチボールする能力」
(草薙,2005)
だそうですよ。
。。。育てましょう!!
キャッチボールする能力を!!