2011年06月07日
伸び代を開花させるのは?

゛伸び代”とは?・・・能力を出し切ってはいず、まだ成長する余地があること
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目前の子どもを対他比較しながら、
毎日「ここが出来ない、ここが足りない。」
「もっとやれば、もっとできるのに!」
「やれば出来る力があるのに努力しない。」
などと勝手なことを言うのが親である。
そういって焦るより
「子どもには゛伸び代”がある!!!」
と信じて成長の時期を待つ方が
どんなにか心安らかで居られることか。
しかし、これを待てない人が多いようだ。
その方たちに共通する事は・・・・
子どもの頃、優等生で
比較的なんでも自分で出来
勉強や学級活動に取り立てて困難を感じてこなかった人たち・・・・
minoは、どんなに頑張っても「1、2、1、2」と
気持ちよく゛行進”する成績表だったので
出来ない子どもの気持ちはよくわかる方だと思っている。
それでも、時期が来たら自分でも驚くほどに伸びた。
成績も上がり、態度も前向きになった。
積極性や向上心も持つようになった。
世の中が、パ~ッと明るく開けた感じがした。
とりあえず、生きていくには困らないほどに成長できた。
どんな子でも、この゛伸び代”はあり、
その開花する時期は異なっているのだと思う。
子どもの゛手本となる大人”さえ居れば、
子どもは自力で這い上がっていく力、
拓いて行く力をいつか発揮するものだと思う。
mino自身がそうであった。
「ああいう大人になりたい!」と思える゛手本となる大人”が身近にいた。
これは、幸せなことなのだった。
子どもの伸び代を開花させるには、、、、、
先ずは、親がその手本となりたいところだ!
2011年06月01日
ストレス反応

人間は、いつもとは違う、
大変ショックな出来事に遭遇した時に
あらゆる反応を示すものです。
しかし、この反応は誰にでもある、
当たり前な反応ですので
心配はありません。
時期が来れば、自然と収まって来るものなのです。
今回の出来事でminoに現れたストレス反応は
フラッシュバックで
4年前に味わった激しい怒りや不安感、寂しさ、絶望感など
情緒不安定な感情が鮮やかに蘇ってきてしまいました。
不意に涙があふれてきたり
脱力感やイライラ、やる気が出ない、落ち込み、、、、
などの様々なストレス反応を感じています。
ウルトラマラソンで100km走ったところで
疲れて寝込んでしまうような事はありませんが、
今回の出来事によるストレス反応で
ダウンしてしまいました。
1日、休みました。
当の太郎吉はというと、
「しばらく考えがまとまらないよ。何だか力が入らない
。」
と落ち込んでいるようだったり
「ふざけんな!何てことしたんだ!俺はどうなるんだ!
」
と怒りをどこにぶちまけていいかわからない様子。
少しぼんやりしたり、イライラして人に絡んできたり、
「かあさん、かあさん、、、、」と用もないのに連呼したり(子どもがえり)
少し落ち着いてきた反抗期の様相も
又、ぶり反しいています。
********
ストレス反応が収まるポイントは
①安心できる、気持ちが和む時間や場所があると、心が楽になり元気が戻ってきます。
②家族や友だちや先生と過ごすときに<絆>を感じられるとよい。
遊びや行事を通じて「一人ぼっちではない」と感じること。
③泣く、笑う、怒る・・・などの感情を我慢せずに素直に表現すること。
また、親は、子どものその気持ちを素直に受け止めてあげること。
先ずは、私自身のストレス反応を軽くするために
積極的に走っています。(いつもか・・・)
先日は、4時間30分走ってきました。
こうすることで、子どものストレス反応に
上手く対応できるのです。
2011年05月31日
ショック 又かよっ!

4年前、
太郎吉が小学校4年生の時
多くの生徒と保護者にとって
大変なショックとなる出来事がありました。
不安、怒り、苦しさ、悲しさ、絶望に包まれ、
親も子も立ち直るのに
暫く時間を要した出来事でした。
そして、また、
中学2年生になった太郎吉の身に
又もや、同様の大層ショッキングな出来事が
降りかかってきたのでした。
4年前の出来事も、最近では滅多に
太郎吉の口から話題に出ることもなくなっていましたが
たまに、思い出したようにあの頃の話をする時は
とても寂しそうな表情をするのです。
あの頃の心の傷がやっと過去の思い出になり始めていたときに
又もや・・・・・
『何てことしてくれたんだよっ!又かよっ!
』
と言う思いでした。
一生涯、彼は、これらの事件を寂しい思い出として記憶していくのでしょうが
これらの大人の起こした大きな取り返しのつかない過ちを
彼は人生の初期に2度も経験したのです。
しかし、きっと、
彼は、それらを乗り越えた経験を人生の糧として
真っ当に前を向いて生きていってくれるものだと信じます。
<つづく>
2011年05月19日
試験最終日

太郎吉の中学では、
3日間に渡る定期試験が行われました。
本日最終日!
今年一年間の試験全ての結果をもとに
中学3年生のクラス分けが
成績順でA、B、Cの3クラスに分けられます。
このシビアな現実を前に
「スゲ~プレシャ~ダ~~~~!」と
食欲も心なしか落ち
反抗期の態度も和らいでいます。
明日は、遠足で登山!
苦しい試験の後に楽しい行事を組み込んで頂いているのは、
学校側の配慮です。
思う存分自分を追い込み試練に立ち向かった生徒達には、
登り切って頂上に立ち眺めた景色は
きっと、格別なものとして映るのでしょうね~~~。
歳を取ると日常の中で心震わせる出来事に中々出会えないものですが
若人よ!
ぶるぶるぶるぶる
震えるべしっ!!!!
2011年05月10日
我がまま顔・・・って?

太郎吉「カアチャンっ!イヤだっ!蚊が飛んでる!
」
mino 「蚊?季節が早すぎるよ。蚊じゃなくて羽虫じゃない?」
太郎吉「本当にイヤだな~・・・。゛我がまま顔”で飛んでるよ。」
mino 「えっ???゛我がまま顔”????って。
我がままそうなんかい?」
太郎吉「こいつの性格が我がままかどうかは知らないさ。
゛我がまま顔”で飛んでるだけだよ。」
mino 「く~っ!・・・余りにも惜しい・・・。
全くもって惜しいンだけど
それって、゛我がもの顔”じゃないの?
つまり、 ゛図々しい”とか ゛傍若無人”てことだけど。」
太郎吉「 ゛図々しい”と゛我がまま”か・・・
似てんじゃん。」
mino 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
(おいっ!似てね~~~~っっしっ・・・
太郎吉よ、確かあんたは中学2年生になったっけかね???
頼むよ~
しっかりよ~)
2011年04月28日
家族旅行からの卒業

家族で旅行するよりも。。。。。
そろそろ友達同士で行動したり、旅行に行きたいと思い始めている子どもたち。
そして、
もうと~~~っくの昔から、独りぼっちになりたいmino。
・・・・・そんな中で
太郎衛門だけが家族旅行に拘っている。
太郎衛門は
「勉強や塾や部活や友人関係・・・・
子どもたちは子どもたちの世界を広げ、生きはじめ・・・
後いつまで、家族みんなで揃って旅行が出来るかわからない。
だから、今のうちに行くっ!」
とは、毎年聞く言葉。
でも、少し前から、もう既に、子どもたち(minoも?)は゛別々の世界”の方が重要視されて来ているんだよ。
「今のうちに」の<今>は、無いのかも。
太郎衛門が
「旅行をしたいと思うので家族会議を開きます!」
と意気揚々と発言しても、な~んとなくみんな他人事。
、、、、んじゃ~~~~あ、、、、
僕は、釣り!
私は、スペイン村でジェットコースター!
お母さんは、走れるところならどこでも!
お父さんは、美味いものが食いたい!
とそれぞれが、みんな異なった希望と目的を持つのです。
太郎衛門以外は、
「どうしても家族旅行をしたい」と言う熱意にかけるから
次第に
「ま、決まらないからいっか~」と旅行話も進まない。
そろそろ、ほんとに「家族旅行からの卒業」時なのかもしれません。
2011年04月21日
家庭訪問

昨日、我が家の前の道で(小学校の)担任の先生が名簿を片手に探し物。
生徒の各家庭の場所を確認しているのでした。
(セシリアの小学校では、家庭訪問はなく、自宅の場所の確認だけをするのです。)
「先生こんにちは!ご苦労様です!」とご挨拶すると
先生はニコニコと返事をしてくださいました。
家の外に先生が居られると知ったセシリアは、
靴も履かずに裸足のままで
「せんせ~~~~いっ!!」と大きな声で
嬉しそうに駆け出した。
先生はそれを見ると又嬉しそうに
「あら、セシリアさん。靴は???あははははは。」
と笑顔満面に迎えてくれていました。
セシリアの先生の素晴らしいところ、、、
魅力的なところは、たくさんあるけれど、
一番にあげられるのはその゛笑顔”!
穏やかで優しくって暖かい、その笑顔。
ああいう笑顔は、
作って出来るもんじゃ~ない。
相手に対して心が開かれていないと出来ない笑顔だよな~。
相手を信頼していて疑いのない、あの笑顔に子どもは安心を覚えているんだな~。
セシリアの先生は、
子どもが後先考えず、裸足で走って行きたくなるような
魅力一杯の先生なのです。
minoも走り出したくなるほど
先生が、だ~~~い好きっ!
2011年04月20日
私、おんなです

セシリアさん
進級し、自己紹介の日々
先ずは担任の先生が
そして、次々に出会う先生だれもが
セシリアを男の子として扱ってくれる
そのたびに「私、おんなです」
誰もまだ、最初からセシリアを見て女の子だと見破った人はいない
それがとても楽しいらしい
あと何人騙せるかな?
と楽しそう
そんなセシリアさんが
どういうわけだか髪の毛を伸ばし始めた
男の子みたいなセシリアさんも大好きだったminoは
何だか、ちょっぴり淋しい
小学5年生
大きく大きくいろんな事が変化していく歳になりそう
そんな予感が
minoをワクワクさせてくれる
2011年04月16日
よいスタート!

中学2年に進級した太郎吉。
入学式の日、知り合いの後輩に敬語で話しかけられ「先輩ってのは~気持ちがいいもんだな~」と
鼻の下が床に着きそうなくらいに伸ばしきって、満足気に帰ってきました。
2年生ともなると、学校生活にも慣れ1年生の時に感じていた゛漠とした不安感”は無くなり
気心の知れた仲間たちや先生に囲まれて、生き生きと2年生をスタートしています。
学園祭の実行委員にも立候補したとやる気満々
(「委員などというものは何であれ面倒くさいものだ」といい、立候補するなどと考えられない子でしたが・・・)
*************
そして、セシリアは小学校5年生となり、松葉杖で初日を登校するも、元気溌剌!セシリアムード絶好調!
春休みに学級委員に立候補するためのスピーチを考えていたようですが、複数の立候補者の中から選出されたと大喜びで帰宅!
「担任の先生も最高に素敵だし、いいスタートが切れたよ!」と。
委員会活動では「花園委員」となり、もっぱら粘土ベらで雑草を掘り返しているとかで
「カアチャン、我が家の庭の手入れは任せて!」
と嬉しいお言葉。
ねこの額もない、、、、ねずみの鼻先ほどの我が庭は、セシリアの手に掛かり今や春爛漫!
赤や白、ピンクに紫・・・色とりどりの花が咲き乱れています。
太郎吉もセシリアも成長してる!!
んでもって、私は、五十肩も治り、30kmRUNも朝飯前!
1ヶ月後のウルトラマラソン100kmに向け上手い事仕上がってきていま~~~す。
震災で連絡が取れずにいた福島の親戚もどうやら無事のよう。
ホット一安心で、よいスタートが切れました。
2011年04月07日
とうとう松葉杖

セシリアは、余りの足の痛みに耐えかねて、8日の再診まで待てず、昨日スポーツドクターに診て貰いに行きました。
すると、、、、、
Dr. 「痛くて足が着けない? 歩けないって?
あれ?
両足に水溜まってるじゃない。
明日学校行きたい? 明日から授業開始だって?
っじゃ、アレ持ってきてよ。」
と、Drが看護士さんに指示を出すと、
看護士さんはニコニコしながら奥のほうから何やら抱えてきました、、、、それは、、、
何と素敵な(?)松葉杖ではありませんかっ!
mino「ウゲッ!!松葉杖って!
」
セシルアを見ると、セシリアも固まっていました。
Dr. 「っそ!松葉杖ね!これ、ちょっと使ってみてよん。
とにかく、4~5日ゴロゴロしてさ、足使わないでよ。」
mino「先生、ありがとうございます。松葉杖を使わなければならないくらい大変だと言う事があれでわかったと思います
。」
Dr. 「執着心と根性があれだけあれば、慌てなくてもいつかいい選手になる可能性はあるよ。
ただ、そのためにも、今は充分に休ませて治すことだね。」
さて帰り道、、、、
mino 「ま、しばらく静かにってことよ。今回こそは最後まで治そうね。痛みを我慢しながら騙し騙しやっていたら、
中学生や高校生になって本当の選手となる以前に、既に゛選手生命”が終わってしまっているって変なことになるンよ。」
セシリア「うん。わかったよ。本当にわかったからさ。
・・・・・でもね、この松葉杖、、、、、。
友だちのW君いるじゃない?あの子、やんちゃで怪我が絶えないじゃない?今も骨折で松葉杖突いているんだけど、
それがすごいンよ!」
mino 「・・・・ん?」
セシリア「松葉杖で飛んだり走ったり、バックしたり、自由自在なんだ!」
(あら?セシリアの目がキラキラと輝いている。 ま、さ、か、こ、い、つ、、、、、。
)
「んでもって、ムーンウオークも出来ちゃうんだ!」
(げっ!セシリアの目がギラギラとし始めた!やばっ!
)
mino 「アンタ、まさか! あんたもそれ、やろうってんじゃ~ないでしょうね!
運動しすぎて故障して松葉杖突いてンのに、今度は、松葉杖で遊んで怪我したなんてことになったら、
次は何を突きゃ~いいんだよっ
よくよく考えてごらん。」
セシリア「カアチャン、だから解ってるって。ただ、どうかな~?ってさ、想像したんだよ。」
とほほほ。
何だかあんまり堪えていないようだった。
さて、今日は、新クラスでの授業第1日目。
自己紹介をするそうだけど、「松葉杖が反って印象的だ!」と張り切って杖を突いてスッコンスッコン出かけていったとさ。
早いもので、セシリアさんも今年から上級生。
どうなるんかいな?セシリアさんの5年生!
またまた、゛あれ”や”これ”や有りそうだけど、
何たって楽しみだ!
2011年04月05日
膝 水溜まる

とうとう膝に水が溜まってしまいました。
・・・と言っても、溜まったのはミニバスをやっているセシリア(5年生)の膝です。
素人目からも「溜まってンじゃん。」ということで
早速、mino掛かりつけのスポーツドクターに見ていただくことに!
Dr.「こら~大変な事だよ~。こんな小さいうちから故障が多くちゃ~いい選手にはなれない。
今年一年は、怪我をしない身体の使い方を身につけよう。」
mino「・・・ンで、先生、7日が練習、9日が試合ナンですけど、出れますか?」
(納得しないセシリアを前にわざと先生に伺ってみる)
Dr. 「出れますか?って、お母さん何バカな事言ってんの?こんなんで出られる訳ないでしょう?
考えても見なさい!」
mino「、、、、んだってよ。セシリア。せんせいのおっしゃたことわかったかい?」
セシリア「・・・・・・(ほ)んとっかよ・・・・・」(酷く不満そう)
Dr. 「大体、ぼくね~、いつも病院に来るような学生でいい選手になった人なんか一人もいないからね~。」
(mino「???・・ぼくって・・・あちゃ~、間違ってるよん。先生・・・・。
もう何回も診て貰っているのに、ずっと気付かなかったンかい。
まいっか~。セシリアも知らん顔してるし。あははは。」)
mino 「この子、バスケにおいては、そう高くないであろうポテンシャルの足らない分を根性と努力で補おうと
一途になるタイプなんです。
んだから、怪我をしても休めない性分で。。。。まったく困っちゃうんです。」
Dr. 「困っちゃうんですってさ~、それ、お母さんそっくりだよ!」
mino 「がははっはは・・・~」(笑ってごまかす)
Dr. 「しかし、お母さん、男の子でよかったよ。これが女の子じゃ~たいへ・・・」
mino 「えっ?大変って?どういうこと?
」
Dr. 「女の子は、ここまで来ると、靭帯が切れやすくて、さらにそれを繰り返す事が多くて、
スポーツを途中で断念せざるを得ないところまでいってしまうことが多いんだ。」
mino 「あっちゃ~。そら困った
何故って、先生!この子、こうでも゛女”なんです
」
Dr. 「っぐ、っぐうえ~~~????!!!!っ。
えっ~~~~??お・ん・な???・・・の子????
・・・・だって、だって、男の子の服着てるんだもの・・・」
セシリア「こら~、兄のお下がりです。んま、いいんですけど。どっちでも
。」
Dr. 「いや~、これは最大限にいけないことを僕はしてしまったな。悪かったね。いや~、そっか~。わからなかった・・・
」
mino 「いや、先生、気にしなくっていいんです。女の子に間違えられる事の方が、あいや、女の子と言われることは
まず無いんですから。
そんなことより、んじゃ~、このままじゃ~、まずいですね~・・・・」
Dr. 「いや~、ホントにごめんよ~。又、8日に診せてよ。」
と、最後までショックを隠しきれない様子のDr.でした。
、、、、、、ショックなのは、男の子と間違えられたセシリアではなく
バスケが暫く出来ないと言われたセシリアのはずなのですが。。。。。。
なはははっははは。
2011年02月22日
キチンと・・・

これって、多くの親たちが勘違いしている事ではないのかしら?・・・
それは、、、
例えば、大人は、子どもに片付け、手伝いなど『キチンとできるように!』と期待します。
この『キチンと・・・』が曲者です。
大人が、子どもに期待する『キチンと・・・』は、子どもにそのままキチンと伝わっていえうのでしょうか?
大人の想像するような『キチンと・・・』を子どもも同じように想像しているのでしょうか?
大人は、子どものする片付けや手伝いなどにおいて、「大人のするように完璧に、キチンとできるように・・・」
と暗黙のうちに望み期待し過ぎているのではではないでしょうか?
その結果、子どものした事に対して失望やイライラを募らせるのは、無駄な事です。
子どもは、大人が願う事と同じようにできるものでしょうか?
いいえ、子どもは、子どものしたいように出来るのです。
大人は、他人がそう言ったからといって、言うがままにそうするものでしょうか?
いいえ、大人は、他人の考えを尊重しながら自分の考えをも尊重した態度を選択したいと考えるでしょう。
子どもは、大人と同じようであるという必要があるのでしょうか?
いいえ、子どもは、子どもとしてあるのです。
子どもは、大人のように考える事は出来ないでしょうが、子どもなりに考えを持つものなのです。
子どもは、大人のようには上手く出来ないでしょうが、それでも自分の力でやってみたいと思っているものなのです。
子どもは、大人のようには判断できないでしょうが、自分で決めたいと思っているものなのです。
子どもは、大人のようには成れなくとも、子どもは子どもであるのです。
2011年02月18日
期待に応える

これって、多くの親たちが勘違いしやすい事ではないのかしら?・・・
それは、、、、
「子どもは、自分で考え、決めることなど出来ないものだ・・・」というものです。
これって大人の勝手な思い込みではないかしらん。
子どもと接していると、どんな小さな子どもであっても、その子なりに考えを持っているものだと強く感じます。
そして、その自分の考えを人にも大切に思って欲しい(尊重して欲しい)と願っているのだと気づきます。
身近にいる大人が「子どもは、自分で考え、決めることなど出来ないものだ・・・」と
言う思いみを持って子どもに接する事で、
子どもは、いつに日にか自分で考えることをやめてしまうものです。
子どもは、大人の否定的な期待(「どうせ考える事などできないであろう!」という期待)に応えてしまうのです。
「うちの子は、自分で考えない。決められない。指示待ちっ子だ。」と言った場合がそうです。
この子達は、もともと考えを持てない子ではなかったのです。
しっかりと親の否定的な期待に応えたのですね。
2011年02月08日
10歳の子育て

『いつか、何か、やらかしてくれちゃうだろう』と想像はしていたのですが、、、
とうとう、モアがやらかしてくれました。
モアは、セシリアの飼い猫です。
しつけも世話も健康管理も、10歳のセシリアが責任を持ってやっています。(その世話ぶりには、いつも感心します
)
昨日の事でした。
「どっひぇ~~~え???!!!!キ、キーボードの数字の1と2の文字が、、、文字が、、、文字が、、、取れた。。。。は
」
そうです。
minoのパソコンのキーボードを破壊してくれちゃったのです・・・・・
モアは、我が家に来る前に、一度里親が見つかり飼われていました。
ところが、やんちゃなモアは、そのお宅(教会)で決してやってはならないことをやってしまった(マリア様の像を蹴倒した)
ということで、育児放棄をされ、戻されてしまったのです。
そんな経緯を知って尚更、セシリアとminoは、この猫が気に入ってしまったわけです。
だからこいつは『いつか、何か、やらかしてくれちゃうだろう猫』だと思っていましたが、、、、
くふふふ、、、こう来たか。。。。
「猫が、深夜にストーブをひっくり返して火事となり、飼い主家族が亡くなった。」という恐ろしくも
確かに猫ならやりかねないニュースを耳にしたことがありましたが、他人事ではありません。
セシリアは、我が子(我が猫)モアが、いたずらや失敗をしでかす度に
「本当にごめんなさい。モアがやってしまったことを赦してください。」と言って謝って歩いています。
その姿はまるで、やんちゃな子を持つ親の姿そのものです。
猫を大事そうに抱きかかえながら、猫にも事の道理を分からせようとするかのように、腰を低くして頭をたれ
心から謝っているのです。
( んね~~~~。
子どもが、やんちゃしでかす子だと親は謝りっぱなしなわけよ。
そんでも、そんなわが子が可愛いって訳、何だかわかるでしょ~?)
こうしてセシリアは、10歳にして親心を知る毎日です。
「子育て(猫育て)は、思っていたよりずっと大変。でも、ふわふわなこの子に触っているとすっとんじゃう。
肉灸を撫でているとどんな事をしでかしても、赦せちゃう。
ため息が出るときもあるけれど、笑わせてもらっている事の方が多いよ!」と
セシリアは言うのです。
10歳のかあちゃん。
10歳の責任感と愛情はでっかいな~~~。
子育て(猫育て)、応援するからがんばれや~~!!
2011年01月25日
息子がくれた説教

湘南マラソン大会前日の事。
太郎吉が説教してきました。
「
カアチャンに聞いて欲しい事がある。
大切な事だから、ここに来て座って聞いてほしい。
(mino ほ~~~、いつにもなく真剣な面持ちで、大人びてンじゃん)
こんなことは、カアチャンも言われたくない事だろうとは思うけど
カアチャンも、もう充分にいい年なんだ。
(mino ゲッ!!はっきり言いやがる・・・)
身体に気をつけなければいけないんだ。
僕は、心配して言っているんだよ。
(mino おっ??反抗期の悪態つきが、珍しく心配してくれてる・・・)
「肩の故障はマラソンとは関係ない」とか、「医者はどんどん走ってこいと言う
」とかっていうけれど
そんなに激痛で苦しんでいるのによくマラソンに行く気がするね。
それだけマラソンが好きなのはわかる。
生きる糧になっているんだろうが、、、、
明日も行くの?
どうせ、走れなくとも、現地に行くだけ行く気なんだろ。
(mino ぐはっ!オヌシ、わかっとるがな!)
明日の大会を半年前から楽しみにしていたのもよくわかる。
そうだよな~・・・
僕もラグビーで、花園に行くのを目標に頑張ってきたのにインフルエンザで行けないとなってしまったら悔しいよな~。
(mino んま、五十肩はインフルエンザと違って伝染性はないし・・・ちょっと違うけんどね。)
カアチャン、とにかく無理をしないことだよ。
気をつけるんだよ。
(mino う~、うるうるしちまうじゃ~ないかい。)
なんせ、もう充分に歳なんだからねっ!!!」
(mino っんだから、それを何度もリピートするなって!!!)
2011年01月18日
読書嫌いな子

「小さいころ読み聞かせをもっとやっていればよかった。」と言うお母さん。
お子さんが読書嫌いであると心配していました。
「寝る前に毎晩読んで聞かせたのに・・・それなのに・・・・。」
と言います。
親は、教育的配慮から本を一方的に選択してしまうのではなく
子どもの気に入った本を一緒に楽しむことが出来ていることが゛楽しい読書”としての基本であり
「読書は楽しいものだ」と先ずは、子どもが感じることが大切であると思います。
しかし、どうあっても楽しそうじゃない・・・と言う場合は、「認知」の仕方を確認するのも一つの手です。
子どもによっては、認知(認識の仕方)の得意、不得意という偏りがある場合があります。
聴覚言語優位型認知(耳で聞きわけることが得意)の子どもの場合は、
読み聞かせるお母さんの声だけを拾いながらお話を楽しむことができますが
視覚映像優位型認知(見て情報を得ることが得意)の子どもの場合は、
耳で聞くよりも絵などを見て楽しむことが得意です。
そこで、読み聞かせをしても楽しんでいないようであると感じたならば、
美しい絵の描かれた本を開いて、子どもと共にじっくりと見入って、その世界に浸ってみてはいかがでしょう。
そこに文字はなくとも、子どもは描かれた絵から素晴らしい物語を読み解いているはずです。
子どもの方から、物語を語ってくるも知れません。
そうして、いつの日にか、格別にお気に入りの本に出合ったならばそれはラッキーなこと。
その分野の本を読み進めていくうちに読書の世界も広がっていく事でしょう。
親がたくさん、読み聞かせをしてあげたからと言って、必ずしも読書好きに為るとは限りません。
子どもがそれを楽しめているかどうかが大事なのです。
2010年12月27日
トイレはどっち?

:::::::::::最近のセシリアの悩み:::::::::
「私は、公衆トイレのどっちに入ったらよいのだろう?」というもの。
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
この2年近く、女子に思われたことがなく・・・
察するに、
ヘアースタイルは、自分好みのスポーツカット(太郎吉より短い)、
服装は、待ち望んでゲットした兄からお下がりの服(年期物)、
友だち関係は、女子より男子の親友が多い、
その物腰、態度、、、、
総合的に見て、まさに男子なのです・・・・
初対面の人からは「ぼく、ぼく、、、」と呼ばれ続けています。
先日も公衆トイレの女子に入ろうとしたところ、
知らないおば様に、ご親切にも「ぼく、男子はこっちだよ。」と呼び止められ
説明するのも面倒くさいし、おしっこも漏れそうだったので
「は?あ、すんません。」と男っぽく返事をし、男子トイレに駆け込んだそうです。
セシリア 「だから、カアチャン、あたしゃ悩んだ結果、これからは、空いている方に入る事にするよ。」
って。
mino 「え?でもそれって犯罪にならない?
痴漢行為?とかチラ見罪?とか・・・・
一応、生物学的にも社会・文化的にも女子であると自覚自認しているセシリアが
男子トイレに入るって・・・・
それこそ面倒くさいから、頭にリボン付けるとか、スカート履くとか、どうにかしたら?」
セシリア 「げ、気持ち悪い・・・」
mino 「う、確かに・・・・」
セシリアの好むヘアースタイルや服装や人間関係などは、
彼女の個性であり、自分の生き方を自己決定した表現の一つであると感じています。
だから、大事にしてあげたいと思うわけですが、、、、
来年(5年生)も男子トイレを使うつもりらしく、不審人物として補導されない事を祈ります。
2010年12月16日
自分らしく生き生きと②

生き生きした自分はどうやって作られるのでしょうか?
・自分の好きなことが出来ている
・努力した結果が実を結んでいる
・周囲の人の支えを感謝できている
・心を打ち解ける仲間がいる
・目標に向かって進んでいる
・他人や自分が、自分のことを認めている
・未来を建設的に描くことが出来る
・周囲に一人でも理解者がいる
・・・・・・・
このような土台があってこそ、生きていることに胸をはることが出来るのではないでしょうか?
すると、面倒くさいことや困難なことへの挑戦も苦じゃなくなるようです。
「現状に満足しながらも、決してそれに甘んじない。」という積極性も現れてくるようです。
たとえば。。。。
90点の答案でよしとしてしまうか
あと10点を自分の物にしたいと思うかは
日常の生活の中で、自分が自分らしく、生き生きと生きていられてこそ発揮できる自己肯定感なる力なのだと思います。
ですから、子どもが、この゛10点”に向かう気持ちやエネルギーを生じられるようになるためには、
日常の生活を通して、なるべく親は子どもの生活を横取りする(何でも親が決めてしまうこと)ことなく、
子どもの言動を肯定的に認められるよう努力し
応援していく事が必要であると感じるのです。
たとえ子どもが幼児であろうと、思春期の子どもであろうと、応援して行く姿勢たるや同じなのです。
2010年12月15日
自分らしく生き生きと

太郎吉は、言いました。
『僕は今ね、、、、
生きている素晴らしさ、喜び
生き生きと生きているという実感
未来に期待し、夢を持っている
満足感
達成感
幸福感
・・・・・・・を感じることができている。
でも、これから先には、大変な事が山ほど待っている。これからが、大変だと思うとね・・・
暗闇に迷い込むのではないか
不安感や心配
焦燥感
緊張感
恐怖感
・・・・・・・を持ってしまうこともある。』
というのです。
親に対してこう言うことの出来る素朴で素直な太郎吉を応援している私がいます。
私は、答えました。
『そうなんだね~。気持ちは大きく揺れ動くのだね~。
でも今、このときを゛生き生きと生きていられているというその"実感”が持てている事が
大事なのではないかな?
今が生き生きとしてないと、これからの゛大変”を越えていけないものね。
できるだけ先々を恐れず、今の生き生きした自分を大好きでいようね。』
と・・・・・。
さて、皆さんは、あるいは、お子さんは、生き生きと生きていると思いますか?
生き生きした自分はどうやって作られるのでしょうか?
つづく・・・・・・・・・・・
*************
2010年12月13日
清々しさ

太郎吉は、中学の定期試験が終わりました。
前回、かなり力も気合も抜いた結果、出た試験結果に愕然としてしまった彼は
自分の不甲斐なさを悔しく思い、今回は、心機一転、新たな気持ちで奮起して、試験勉強に取り組んでいました。
3日間の試験中、いつも穏やかに、にこやかに過ごしている彼を見て
「今回は、行けてるな~~!!!」
と思っていました。
試験がすべて修了した8日に帰宅した太郎吉はこういいました。
太郎吉 「お父さん、カアチャン、僕はやったよ。
かなり手応えを感じているし、何より最高に気持ちよく終われた。
自分を騙さないで、逃げないで打ち込んでよかった。
゛清々しい”・・・ってカアチャンがよく言ってた気持ちは、これなんだね!」
太郎衛門「それが大事なんだよ。その清々しい思いをするために、時に苦しくても
勉強やスポーツに打ち込むんだね。その清々しさを味わえただけで合格だ!
点数は、後から付いてくるものさ。」
(mino 同感! 拍手・パチパチパチ)
太郎吉 「うん!あ~、満足感!お父さん、カアチャン。自分を褒めてあげたいよ。」
(あははは。どこかで聞いたあの台詞、使っちまったな~~。)
『身体の飛躍』『こころの飛躍』をする思春期というこの時期。
太郎吉は、思春期の葛藤や苦悩を一つ一つ乗り越えながらも
今、生き生きと輝き出しています。