2009年04月24日
4.24 キラリ発見!!

「1クールのレギュラーより、1回の伝説!!」
のフレーズに感動し、思わず買ってしまいました。
今日のキラリはこれ!!
『えが茶ん』
“江頭2:50”ちゃんのウーロン茶。
190g・・・189円。。。
え~ッ?た、高くな~い???
でも、“1回の伝説”だから奮発しちゃいました~!!
キラリと光るは、1回のみ。。。
えがチャンも思わぬ使われ方をして、健在です。
頑張れ~!!えがチャ~ン!!
2009年04月24日
恐るべし、行動力

セシリアの行動力には、親でも驚かせられます・・・
◆書道を習いたいと言い出したとき(7歳)・・・
『母ちゃん、私は、書道を習うことに決めました。
(←は、はい?いつ決めたの?聞いてないよ?。。。??)
Y田書道塾は、月謝3500円。これなら、家計に無理ないよね?
月金土日の好きなときでいいって言うから他の習い事もやめないで済むし、
歩いて行ける距離だから、母ちゃんには迷惑を掛けない。
TELは○○○ー□□□□だよ。
体験コースがあるっていうから、行く事にした。』
って。
何の相談もなしにもう勝手に決めているのです。
minoの知らない間に、全ての情報収集をしてきており、
有無を言わせず、ルンルンと体験を済ませ、その場で「はい。入会します。」
と答えていました。
この場合、セシリアの“やる気”にも、条件的には、何も反対する理由など
ありゃしませんでしたから、セシリアは、マンマと書道を習い始めましたよ。
◆自分の猫が欲しいと言い出したとき(8歳)・・・
『七雄は、母ちゃんの猫だし、あたしには、どうしたって懐かない。
(七雄にしてみたら、セシリアがあまりに賑やか過ぎて、何されるかと怖い
のです。)
だから、私の猫を飼いたいの。世話も全てやります。病院代も自分の貯金から
出します。旅行に行けなくなってもいいです。掃除機は私がかけます。
・・・ということで、譲ってもらえる猫がいるか、今から猫の病院にTEL
して聞いてみる事にします。』
というやいなや、もう番号をプッシュし、話し始めていました。
そして、、、、
『もらえる猫は、今いますか?今は、いないのですね。。。
では、猫が来たら一応教えてください。私が飼いたいのです。
でも、まだ、家の人に充分に賛成してもらったわけではなく、家族会議でも
決定されていません。
それでも、猫が来たら教えてください。
オスかメスかはどちらでもいいのですが、できればメスでお願いします。
自分で御飯を食べられるようになった2~3ヶ月位の子で、毛の色は
何でもいいです。』
って、げげ~っ。。。。もう半ば飼う気でいるところが怖い
。。。
しかし、流石に命有る生き物です。そんじょそこらのお約束では、飼う訳には行きません。
セシリアにも、そんなことはわかっているのです。
それでも、反対されてもTELしてみたかったという、その行動力には
あんぐりと口が開いてしまいました。
愚図ったり、ひがんだり、すねたりせずに、どうしたら自分の願いが叶うかと
いつも前向きに考え行動するところは、『すごいな~・・・』と思います。
しかし、今のセシリアでは、責任を持って猫を飼うまでには及ばないという事も、
今回学んだようです。
自分で納得するまで試行錯誤してみて、それでも世の中には、
『明らめなければならない事もある』
『時には、時期が来るまで“待つ”という事も必要』ということを受け止めていました。
2009年04月24日
“当たり前”は当たり前?

昨日の『くさなぎ井戸端会』は、17名の皆様とフリートークで
“当たり前”って何だろう?・・・と考えて見ました。
朝食をとるのは当たり前。
歯を磨くのは当たり前。
授業中は座っていて当たり前。
謝ってきて当たり前。。。。
日常生活で、
「そんなこと、出来なくて当たり前。」は、あまり使わないけど
「そんなこと、出来て当たり前。」はよく使いますね。
“当たり前”という言葉には、
こうして欲しいという『願い』や
こうあるべきだという『価値観』『思い込み』が含まれるのでは?
しかし、発達章害を持つ子どもの親御さんがこうおっしゃいました。
「家では、“当たり前”はないのです。」と・・・
“当たり前”というフィルターを通してみている限りは、発達章害を持つ子どもへの理解には近づけないようです。
価値観が多様化した社会の中では、常識と思われることや“当たり前”と
思われていたことも、そうではなくなっている現象があります。
“当たり前”というメガネで見ているだけでは、他者を理解したり違いを受け止めることが出来づらい。
日常の中での“当たり前”という視点を振り返ることで、
コミュニケーションを見直して見てはいかがでしょうか?